ゆいの思うこと

小さい頃から変な子、不思議な子と言われ続けて早21年。そんな変な子が世の中について語ります。

男性と女性の喧嘩内容の違い







ゆいの恥ずかしいお話。


私がけんかっ早い性格もあってか、この前電車の中で見知らぬ女性とケンカをしました。

そのときの状況は、こんな感じ。
電車が1時間の遅延をしていて、電車はいつもよりも混んでいました。駅に停まるたびに、私は奥へ奥へと押されていきます。そのときに私の後ろにいた女性に何度も押すようなかたちになってしまったので、申し訳ないなと思いつつ、頭を下げていました。するとその女性は、痺れを切らしたのか、私にいきなりエルボーを食らわせてきたのです。その瞬間、女性は振り向いて私に向かって、フッと鼻で笑ってきたのです。私は我慢の限界でした。到着駅に着いた瞬間、持っていた傘で突いて電車を降りました。すると、後ろから女性が「おい、おい」って肩を叩いて、呼びとめるではありませんか!つい、足を止めてしまいました。(私は悪くみたいな書き方になってしまいましたが、今回は、どっちが悪いとか、そういうことは置いておきます…!どっちも悪いと思うので…!)そこから、その女性が言った言葉は、こうです。「ブスの上に性格もブスだな」と。私は一瞬思考が停止しました。


「あれ?揉めていた内容って外見のことだったけ?」

と。


私は、路上で交通事故の男性同士の揉め合いを目にしたことがあります。

「お前が先にぶつけてきたんだろ」
「そっちが飛び出してきたんだろ」

男性は、起きた事の問題で、ケンカをして揉めます。しかし女性は、必ず外見を侮辱します。「おいブス」「デブのくせに生意気言ってんじゃねーよ」。


何故、女性は、起きたことが問題なのに、外見を侮辱するのでしょう?ケンカの内容に、外見は関係ないと思います。



私が思うに、女性は、「見られる性」として、この世に存在しています。男性は「見る性」として。この辺にジェンダーが絡んでいますが、それは一先ず置いておきます。見られる性として、存在していることによって、男性だけに見られるわけではなく、同性、つまり女性からも女性は見られています。

この「見られる性」と存在していることが、原因だと思います。見られる性として存在していて、女性は、そのプレッシャーに押し潰されているように感じます。その押し潰されているストレスから、他の女性を見て、「あの女性は自分より怠っている」「自分よりも綺麗ではない」という安心を得て、生きている。

それが表に出たとき、こういった喧嘩内容が起こるのではないでしょうか。


女性だって男性だって、身体のつくりは違うだけで、中身や性格は、同じ人間です。


なのに、どうして、こんな違いが起こるのだろう…。